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研究者に「定年」は必要なのか―森和俊教授の名城大学移籍に思う

2026/7/17

ノーベル賞の有力候補として知られる世界的な分子生物学者、森和俊さんが、この春、京都大学の特別教授を退職し、名城大学の教授に就任したという読売新聞の記事を読みました。
森教授は、細胞の中に不良品のたんぱく質がたまるのを防ぐ「小胞体ストレス応答」という仕組みを解明した研究者です。
小胞体は、生命活動に必要なたんぱく質を作る「工場」のような役割を果たしています。しかし、そこで作られるたんぱく質の中には、一定の割合で不良品が生まれます。その異常を検知し、修復したり分解したりする仕組みが小胞体ストレス応答です。
この仕組みが正常に働かなくなると、パーキンソン病や糖尿病など、さまざまな病気の発症につながる可能性があるとされています。森教授の研究は、将来の病気の予防や治療に結びつく可能性を持った、世界的にも極めて重要なものです。
森教授は2009年に「ノーベル賞の前哨戦」とも呼ばれるガードナー国際賞を受賞し、2014年には米国最高峰の医学賞とされるラスカー賞にも輝きました。
そのような世界的研究者が、なぜ長年研究を続けてきた京都大学を離れ、名城大学に移ったのでしょうか。
記事によれば、森教授は65歳で京都大学の定年を迎えた後、特別教授となりました。
京都大学の特別教授は、極めて高い研究実績を上げた研究者だけが任命される特別な制度で、これまで任命された研究者はわずか6人だといいます。
しかし、特別教授になった後は、研究室の賃料や若手研究者の人件費など、多くの運営費を自ら確保しなければならなくなりました。
さらに、定年を境に、国の科学研究費助成事業、いわゆる科研費の高いランクの研究費を獲得することが難しくなったと感じたそうです。
研究は、研究者一人だけでできるものではありません。
ともに実験を行い、データを分析し、議論を重ねる若手研究者の存在が不可欠です。森教授が特に心配していたのは、一緒に研究してきた二人の若手研究者の雇用でした。
研究費がなくなれば、どれほど優秀な人材であっても雇い続けることはできません。研究者本人の生活だけでなく、家族の暮らしにも関わる問題です。
名城大学は、森教授のための研究室を用意し、二人の若手研究者についても助教として雇用することを約束しました。
森教授の移籍は、単なる勤務先の変更ではありません。自らの研究を継続すると同時に、若手研究者の生活と将来を守るための決断でもあったのでしょう。
森教授は、研究者には「72歳の大きな壁がある」と指摘しています。
国立大学の研究者は原則として65歳で定年を迎えます。その後、任期付きの特任教授などとして研究を続けられる場合もありますが、72歳を超えて研究の第一線に立ち続けられる人は、ほとんどいないそうです。
もちろん、大学にも世代交代は必要です。
高齢の教授がいつまでもポストを占め続ければ、若い研究者が教授や准教授に昇進する機会が失われる可能性があります。組織の新陳代謝という意味でも、一定の定年制度には意味があります。
しかし、年齢だけを理由に、世界的な成果を上げている研究者から研究の機会を奪ってしまうことが、本当に日本の科学技術の発展につながるのでしょうか。
研究者の能力や創造性は、必ずしも年齢だけで決まるものではありません。長年の研究によって蓄積された知識や経験、人脈、そして物事を見る目は、若い研究者には簡単に代替できない財産です。
重要なのは、定年をなくすことではなく、定年後も実績や研究計画に基づいて公平に競争できる仕組みをつくることではないでしょうか。
この記事を読んで感じたのは、「高齢研究者か、若手研究者か」という二者択一にしてはいけないということです。
ベテラン研究者が研究を続けることで、若手研究者のポストが失われるという構図だけでは、問題の本質を見誤ります。
森教授の場合、研究を継続することによって、二人の若手研究者の雇用も守られました。さらに今後、名城大学で大学院生を受け入れ、次の世代の研究者を育てたいと考えています。
優れたベテラン研究者の下で、若い研究者が学び、研究成果を上げ、やがて独立していく。これこそが本来の世代交代ではないでしょうか。
ベテランを排除して若手に席を譲るのではなく、ベテランの知識と経験を若手に引き継ぎながら、新しい研究者を育てていく。そのような制度設計が必要です。
科学研究は、行政の単年度予算のように、1年ごとに明確な成果が出るものではありません。
研究計画を立て、実験を繰り返し、失敗し、その中から新しい発見の芽を見つけていく。成果が出るまでに10年、20年とかかる研究もあります。
森教授が小胞体ストレス応答の研究を始めた当初、それが将来、パーキンソン病や糖尿病などの治療研究につながると、どれほどの人が予想できたでしょうか。
すぐに役立つ研究だけを評価し、短期間で成果が出なければ支援を打ち切るような仕組みでは、本当に画期的な発見は生まれにくくなります。
研究者が年齢や短期的な成果に過度に左右されることなく、腰を据えて研究に取り組める環境を整えることは、日本の将来への投資でもあります。
私自身、名城大学で学んだ一人として、世界的な研究者である森教授が名城大学に研究拠点を移されたことを、大変うれしく思います。
名城大学はこれまでも、ノーベル物理学賞を受賞した赤﨑勇先生をはじめ、優れた研究者を支えてきました。
大学の価値は、建物の立派さや学生数だけで決まるものではありません。研究者が自由に研究できる環境を整え、若い人材を育て、社会に新しい知識を提供することにあります。
森教授は、80歳くらいまで研究の第一線に立ち、小胞体ストレス応答についての本を書いて研究生活を終えたいと語っています。
「研究をやっていれば面白いことが出てくる」
その言葉からは、世界的な賞を受けてもなお、未知の世界を知りたいという純粋な知的好奇心が伝わってきます。
研究者の情熱に定年はありません。
年齢だけで可能性を閉ざすのではなく、意欲と能力のある人が挑戦し続けられる環境をつくること。そして、そこで得られた知識や経験を次の世代に引き継いでいくこと。
森和俊教授の名城大学への移籍は、日本の大学と科学研究のあり方について、私たちに大切な問いを投げかけていると思います。

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